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The Association of Small Business Entrepreneurs in Hokkaido
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 【随 筆】 『春になると思い出す事』
      

 

 

医療法人社団 大島歯科医院 理事長 大島 尚久(釧路支部会員)

 

 私は文苑の自宅から鳥取の診療所まで車で通勤をしている。新釧路川に沿った道路を日本製紙に向かって走る訳だが大きな煙突から立ち上る煙は壮観で見る者を圧倒する。日によって、煙の向き、量、空模様との対比等々見所満載である。

 

 4月の声を聞き、随分と冬に積もった雪も何処に行ったのかと不思議に思う程あらかた無くなった。春の暖かい風を受け、日本製紙に向かって運転していると多くの自転車通学の高校生とすれ違うことになる。この季節になると私は必ずある事を思い出す。

 

 6,7年程前のある晴れた朝、私は例によって川沿いの一本道を日本製紙の煙突を見るとはなしに走っていた。ふと見ると前方の信号が赤になっている。信号が赤になったのは自転車の男子高校生が手押し式信号のボタンを押して私の車をわざわざ止めたからだ。止まったのは私の車のみ、前方を見てもバックミラーで後ろを見ても私の車以外数百メートルただの一台も見当たらない。なぜだ!私は憤りを感じてこの男子高校生をにらんだ。わざわざ信号を赤にしなくてもやり過ごして渡ればよいではないか、そのあとに続く私の悪態は私の品格を疑われるので省略するが2分30秒ぐらいは続いたと思われる。ただし10分ぐらい後にはすっかり忘れていた。

 

 問題は次の日だ、またまた同じ信号を赤にして私の車を止めた自転車高校生、昨日と違うのはボタンを押したのが可愛い女子高生だったのだ。しかもにっこり笑ってこちらに向かって会釈するではないか!皆さん、お察しの通り私の口からは悪態のあの字も出ず、むしろほのぼのとした気分となり、にっこり微笑み、会釈まで返すという体たらく。

 

 次の瞬間、私は昨日の事を思い出し車の中で一人赤面した。なんと節操のなく、価値基準というものがこれ程いい加減であったのか!と自己嫌悪に陥った。

 

 また春になり日本製紙の煙突が出す煙を見ながらこの事を思い出し、一貫した対応を相手が誰であろうと取れるような人間になりたいと思いつつ、実はこれがなかなか難しいと実感している。


 ただし、それ以来女子高校生に手押し式の信号器で遭遇していないのはせめてもの救いだ。


 

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