ID : Pass : 新規登録
The Association of Small Business Entrepreneurs in Hokkaido
〜私たちは地域の発展と人間尊重の経営を目指す経営者集団です〜

  •  「銭湯と昔の近所付き合い」
     

                
    (有)カーショップオモテ 代表取締役  表 共良    (釧路支部)

     

     私は家のお風呂に入ることは年に数回しかありません。なぜならば家族で市内の銭湯に行くことが楽しみの1つだからです。銭湯で仕事の疲れを癒し、息子とスキンシップを図り、多くの裸の人との交流の
    中で息子に一般道徳を身に付けて欲しいと思っています。
     銭湯に行く様になって感じることは、不道徳者な大人と子どもが多いことです。例えば下半身も洗わずに湯船に入る、サウナでタオルを絞る、口に水を含みサウナの温度センサーに噴きかける。こんな光景を皆さんは銭湯で見かけませんか。
     私が小学生のころ近所に「乙女湯」(若松町5番地)と言う銭湯がありました。近所の仲間達(悪たれ坊主たち)と毎日の様にその銭湯行き、小父さんに背中を洗って欲しいと言われては背中を流したり、自分達の体を洗ってもらったりしました。そこには大人と子どもとの垣根もない裸の付き合いがありました。時には湯上りにコーヒー牛乳やフルーツ牛乳、カツゲンをご馳走してもらいました。銭湯には刺青を入れたお爺ちゃんや強面のお兄さんらも頻繁にきて本当に様々な交流がありました。一番記憶に残っていることは、手の指が数本短い(指を詰めた)小父さんが銭湯にいて「指を何したの?」と聞いた事がありました。小父さんは「悪い事をしたから短くなった」と答え、私は「何回も悪い事をしたから何本も短いの? 痛くなかったの? 病院に行ったの? また生えてくるの?」と思いつくままに聞きました。すると「坊主達は小父さんの様に悪い事をするなよ!」と優しく話し僕らの頭をなでてくれたのです。
     銭湯は子ども達の遊び場、近所付き合いの場、大人と子供の社交場、道徳を学ぶ場でもありました。私達の幼児期は隣近所の方々に育てられたと言っても過言ではないと思います。
     ある日、お祭りで色を塗った「ひよこ」を買いました。しかし飼ったはいいが飼育に飽きて困った事がありました。近所の小父さんに相談したら貰ってくれるとの事で差し上げました。しかし、直ぐに潰され焼き鳥と臓物の煮込みになってしまいました。小父さんは僕らを呼んで、1つの命を貰う代りに自分達が「生きているのだよ」と話してくれました。残酷さと美味しさと「1つの命の大切さ」を近所の小父さんから学びました。ハナタレ小僧の私がそんな時代に育てられ今があるのだと思います。

投稿された内容の著作権はコメントの投稿者に帰属します。