ID : Pass : 新規登録
The Association of Small Business Entrepreneurs in Hokkaido
〜私たちは地域の発展と人間尊重の経営を目指す経営者集団です〜
今月の文学探訪
【 筆者プロフィール 】 

小田島 本有(おだじま もとあり)


昭和32年 札幌市に生まれる。
昭和51年 札幌西高校卒業。
昭和57年 北海道大学文学部卒業
昭和62年 北海道大学大学院文学研究科修士課程修了。
平成 元年 釧路工業高等専門学校着任
令和 5年 釧路工業高等専門学校退職

 現在、釧路工業高等専門学校名誉教授。文芸評論家。専門は日本近代文学。
 地元で公開講座、出前授業、読書会、朗読会など、地域貢献に関わる活動を実践。
 2021年7月より北海道新聞夕刊で「道内文学」創作・評論の執筆を担当。

トップ  >  (12)『桜島』
 梅崎春生 『桜島』  2006年4月

                小田島 本有

 いかにして死ぬか。これは人間誰もが避けて通れない問題である。梅崎春生の『桜島』では、昭和20年7月に桜島への転勤を命ぜられた兵曹「私」の視点に寄り添いながらこの問題が追求されている。
 沖縄は既に玉砕し、大和の出撃も失敗に終わった。あとはいつ米軍が本土に上陸してくるかという状況の中、桜島への転勤は迫り来る死の宿命を受け入れることに他ならなかった。「美しく死にたい」と「私」は思う。しかし、それは感傷にすぎないと谷中尉や吉良兵曹長は否定する。彼らは彼らなりに戦争の現実に触れ、死を観念的に語ることの空しさを痛感していた。
 「私」は決して死の宿命を納得して受け入れているわけではない。それは、彼が「歯ぎしりするような気持で、私は遊び呆(ほう)けた」と述べていることからも明らかである。事実、桜島転勤が決まったとき、「私」は一人痛飲している。逃れられない宿命を自分なりに納得させるための方便が「美しく死にたい」という願望だったのだ。
 この作品は、「美しく死ぬ」という命題をめぐる主人公と登場人物たちとの対話に他ならない。桜島へ出発する前夜、訪れた妓楼で「どうやって死ぬの」と生真面目な表情で尋ねてきた右耳のない妓(おんな)の言葉がその後も幾度となく「私」の脳裏をかすめる。また、見張兵も「滅亡の美しさ」について語っていた。しかし、その彼も後に米軍の空襲に遭って落命する。その死貌(しにがお)は人間のあらゆる秘密を解き得て死んでいった者の貌(かお)ではなかったと「私」は述べている。つくつく法師を捕らえて握り潰した「私」の行為は、つくつく法師が鳴くと良くないことが起こると語っていた見張兵への哀悼の気持ちの発露だったのか。それとも、見張兵に代わっての復讐行為であったのか。はたまた、逃れられぬ死の宿命を目の当たりにした 「私」のぎりぎりの抵抗であったのか。 偏執的なまでの凶暴性を帯びた吉良兵曹長は、本土決戦になったら竹槍で戦い、卑怯な振る舞いをする味方には軍刀で斬りつけるとまで豪語した。「私」はその姿に言い知れぬ悲しみを感じざるをえない。
 そこへもたらされたのが、終戦の詔勅であった。「私」の体内には異常な戦慄が駆け巡る。そして、吉良兵曹長の目から涙の玉が落ちたのを「私」は見逃さない。
 暗号室へ向かう道の途中で「私」が目にしたのは落日に染められた桜島岳である。「私」はこれを「天上の美しさ」と形容している。この時拭っても拭っても溢れ出る涙を流しながら坂道を下りていく「私」に去来した思いとはいったい何であったのだろう。
前
(13)『仮面の告白』
カテゴリートップ
TOP
次
(11)『青い山脈』

メニュー
TOP