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The Association of Small Business Entrepreneurs in Hokkaido
〜私たちは地域の発展と人間尊重の経営を目指す経営者集団です〜
今月の文学探訪
【 筆者プロフィール 】 

小田島 本有(おだじま もとあり)


昭和32年 札幌市に生まれる。
昭和51年 札幌西高校卒業。
昭和57年 北海道大学文学部卒業
昭和62年 北海道大学大学院文学研究科修士課程修了。
平成 元年 釧路工業高等専門学校着任
令和 5年 釧路工業高等専門学校退職

 現在、釧路工業高等専門学校名誉教授。文芸評論家。専門は日本近代文学。
 地元で公開講座、出前授業、読書会、朗読会など、地域貢献に関わる活動を実践。
 2021年7月より北海道新聞夕刊で「道内文学」創作・評論の執筆を担当。

トップ  >  (195)『雪の日』
  近松秋江『雪の日』  2021年7月
                小田島 本有

 近松秋江といえば別れた妻への愛執を綴った「別れたる妻に送る手紙」「疑惑」といった「別れた妻もの」で知られるが、「雪の日」はその最初に位置づけられる作品である。
 外は銀世界。家の中で「私」は妻のお雪と差し向かいになり、彼女の過去についてしきりに尋ねたがる。この二人は夫婦生活が四年目を迎えている。
 「私は、まだこの口を糊するがために貴重なる自己を売り物にせねばならぬまでになり果てた」と主人公は自らを嘲笑するが、それは仕事ゆえなのか、はたまた性格ゆえなのか、いずれとも判別しがたい。
 お雪の初恋は樋口一葉の「十三夜」におけるお関と録之助のような淡いものだったという。二十歳の頃は見知らぬ男が「あなたは私を知らないでしょうけれども、私は能くあなたを知っています。どうぞ私の言うことを聞いてくれないでしょうか」と言い寄ってきたが、「御用があるなら、私にはお母さんがあるから、お母さんにそう言って下さい」とつれない態度をとったという。やがて兄が嫁を迎えたのをきっかけに彼女を袖にするようになり、失望した彼女はただ家を出たいの一念で結婚したが、それが失敗だったという。彼女は苦労の連続で結局先夫とは別れてしまった。
 お雪の男性遍歴を執拗に聞きたがる「私」の傾向は今に始まったことではない。「私」はかつて、お雪の先夫との仲をしきりに尋ねて、あたかも不義が行われているかのような「嫉妬の焰」にさんざん苦しめられ、それがきっかけで「私」が泣いたり喧嘩になったりもした。今はそれも収まったが、お雪は「私、あの時分のように、もう一遍あなたの泣くのを見たい」などと言っている。嫉妬されないのも物足りない。そこに人間の不可思議がある。
 「私」がたまには先夫に会ってみたいという好奇心が湧かないかと尋ねたところ、彼女は昨年の春のことを思い出し、語り始めた。たまたま姉と二人買い物に出かけていたところ、姉が妹の先夫を見つけた。先夫は嫂と二人連れだった。そのとき彼女は、もはや関係のない相手とはいうものの腹立たしいやら、憎らしい気がしたという。姉に確認したところ、先方もこちらに気づいていたようだとのことで、しばらくして彼女の方を二人が見返っていたとのこと。この一件でお雪は気分が悪くなり、姉の家に立ち寄りしばらく休んでいたそうだ。
 お雪は「罪深いような、私にすまないというような顔」をして語った。「私」は「いくらか身体が固く縛られたような感じ」がしたものの、以前のように激しい動揺をすることはない。それはなぜか。「私」は考えるが、それもほんの一瞬のことである。この直後、「今日は一つ鰻でも食おうか」と切り出す「私」と「ええ食べましょう」と答えるお雪。ほんわかとした幸福感がここでは漂っている。





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