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今月の文学探訪

【 筆者プロフィール 】 

小田島 本有(おだじま もとあり)

昭和32年 札幌市に生まれる。
昭和51年 札幌西高校卒業。
昭和57年 北海道大学文学部卒業(国語国文学専攻)
昭和62年 同大学院修士課程修了。
 現在、釧路工業高等専門学校一般教科教授。
 専門は日本近代文学。
 同友会幹部大学で文学の講義を担当している。


トップ  >  (72)『書かれざる一章』
   井上 光晴『書かれざる一章』 2011年4月

                小田島 本有

 井上光晴の処女作『書かれざる一章』が「新日本文学」に掲載され、物議を醸したのは1950年(昭和25年)のことである。この作品そのものが日本共産党の内部分裂を誘発する要素を抱えていた。そこでの議論はある意味において、数年前に交わされた戦後「政治と文学」論争の復活でもあった。
 鶴田和夫は左翼運動家であるが、妻のふみ子、息子の太郎とは別居している。というのも、2年前にR新聞社を馘になって生活苦に陥ったばかりか、ふみ子が左肺浸潤と診断され一年間の絶対安静が必要と言われたため、妻子を実家のある長崎に預けているからであった。
 一人暮らしになったからといって、生活が楽になったわけではない。本来払われるはずの常任費は二ヶ月半滞ったままであり、妻の実家に送金すらできないありさまであった。そのことで舅からはしばしば手紙が届いてもいる。舅の言い分は重々承知していながらも何の術も見出せない鶴田であった。
 生活が苦しかったのは鶴田ばかりではない。たとえば、冒頭に出てくる中村は絶えず食事を抜いている。中村はここの活動状況を「ひどい」とは言うものの、本当に「ひどい」と感じているのだろうかという疑念に鶴田は捉われる。あるいは会議の席で常任費のことが財政部から報告されなかったことを鶴田が口にしたとき、新沢は「忘れかけていたよ」と一笑に付す。草場は、結局のところは革命に対する取り組みの問題であり、生活の苦しさを訴えるだけでは敗北主義だという。そして最後には「吉田内閣が悪い」の言葉で片付けるだけである。この言葉が鶴田の問いかけに対してはぐらかしの意味しか持たないのは明らかだ。妻の実家に送金するため松岡に借金しようと訪れたときも、松岡からは「給料をもらって革命をやろうなんて、どだい虫がよすぎるんだ」と言われる。さらに松岡は、スペイン革命の際、大衆が餓死したのに職業革命家は一人も死んでいないことを話題にし、その不名誉は繰り返すべきではないと語る。
 彼らに共通するのは、革命運動を遂行するうえで自らの生活を犠牲にすることが全く疑われていないということである。彼らは確かに鶴田の話を聞いている。しかし、彼らには既に答えは用意されており、鶴田の言葉にじっくり耳を傾けているわけではない。革命運動は本来貧しい労働者を救うためのものである。しかし、自分たちもその貧しい労働者の一人であり、そのことに目を向けないで本当の意味での革命は可能なのか。これが鶴田の漠然と抱いた疑問であったに違いない。
 作品の結末では、妻子が戻ってくることが伝えられる。鶴田を取り巻く状況は何も変わっていない。生活はより一層厳しくなるだろう。
 呆然とする鶴田の脳裏を草場や松岡の言葉がかすめる。
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