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The Association of Small Business Entrepreneurs in Hokkaido
〜私たちは地域の発展と人間尊重の経営を目指す経営者集団です〜
今月の文学探訪
【 筆者プロフィール 】 

小田島 本有(おだじま もとあり)


昭和32年 札幌市に生まれる。
昭和51年 札幌西高校卒業。
昭和57年 北海道大学文学部卒業
昭和62年 北海道大学大学院文学研究科修士課程修了。
平成 元年 釧路工業高等専門学校着任
令和 5年 釧路工業高等専門学校退職

 現在、釧路工業高等専門学校名誉教授。文芸評論家。専門は日本近代文学。
 地元で公開講座、出前授業、読書会、朗読会など、地域貢献に関わる活動を実践。
 2021年7月より北海道新聞夕刊で「道内文学」創作・評論の執筆を担当。

トップ  >  (73)『女坂』
   円地文子『女坂』 2011年5月

                小田島 本有

 円地文子が母方の祖母をモデルにしたという『女坂』は、明治期を生きた女の典型を描いており、ずっしりとした重量感で今も我々読者の心を捉えて放さない。
 福島県の大書記官を務め、今をときめく白川行友は妻の倫(とも)に小間使を見つけてくるよう依頼する。ここでの小間使とは妾に他ならない。年齢は15歳から18歳、堅い家の娘で、しかも縹緻(きりょう)のいい子というのは、倫が須賀美きんに依頼した際の条件であった。
 きんの驚きは想像に難くない。妻に妾探しの役を委ねる夫、またその役を遂行する妻という構図は、簡単に受け入れられるものではないからだ。
 ここには二つの意味があった。
 一つは30歳になった倫が夫からもはや性的なものは求められなくなったということ。ましてや家の中に妾を抱え込むのである。それ自体屈辱的なことであるのは言うまでもない。
 もう一つは倫が白川家を守るべき存在として夫からの信頼を得ていること。と同時に、倫は「女」から「家の実質的支配者」へと役割転換を余儀なくされたということである。
 倫は明治期の封建的家族制度の中で育った女性である。彼女に嫉妬がなかったわけではない。事実、眼鏡にかなう娘として須賀を見つけたとき、倫はこの未成熟な娘と夫が絡み合う姿を想像している。だが、彼女は自らを「お岩のようになってはいけない」と自らを律する女性でもあったのだ。それは自分が激しい情念を抱えた女性であることを十分自覚していたからであり、それを吐き出すことは自らを滅ぼし、ひいては白川家を崩壊させてしまうことを認識した彼女の戒めであったと思われる。
 こうした彼女の態度が封建的家族制度を逆に支えていたというのも事実なのだ。
 夫の行動がその中で増長していったのはある意味において無理もないことであった。彼は二人目の小間使として由美を家に入れる。そして更に驚くべきことは、変わり者の長男道雅の後妻である美夜とも関係をもつのである。このおぞましさに倫が苦労したのは言うまでもない。それは決して世間に知られてはならなかったからである。しかし、こうした一連の流れを振り返ってみると、白川行友の求めたものが性愛の対象にすぎず、更なる刺激を求めるという袋小路に彼が陥らざるを得なかったということだ。彼の心そのものは決して満たされてはいなかった。
 臨終の間際、倫は「私が死んでも決してお葬式なんぞ出して下さいますな。死骸を品川の沖へ持って行って、海へざんぶり捨てて下されば沢山でございます」という言葉を遺す。それを伝え聞いて、「そんな莫迦(ばか)な真似はさせない。この邸から立派に葬式を出す。そう言ってくれ」と慌てる行友の言葉は空しい。
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