(54)『山月記』

中島 敦 『山月記』 2009年10月

小田島 本有    

 虎になった李徴は叢の中から語り続ける。これをじっと聴いていたのが袁傪である。二人はかつて若くして進士の第に登った前途有為の青年たちであった。二人が親しい友人であったのは、温和な袁傪の性格が峻峭な李徴の性情と衝突しなかったためだろう、と語り手は述べる。だが、これは果たして正しいのであろうか。
 李徴は自分がかつて人間だった証として自作の詩の伝録を依頼する。李徴が吟ずる詩を聴きながら、袁傪はその素質が第一流に属するものであることを認めつつも、第一流の作品となるには何かが欠けていると直感する。あるいは、「羞かしいことだが」「こんなあさましい身」など、次から次へと自らを嘲る言葉を吐く李徴の姿に接し、袁傪は昔の青年李徴の自嘲癖を思い出しながら、哀しみを抑えることができない。ここで注目すべきなのは、袁傪が李徴に対して違和感を抱きながらも、決してそれを李徴の前では言語化していないという事実である。
 袁傪と李徴が若い頃から衝突しなかったのは、袁傪が李徴に対して決して異を唱えなかった、すなわち二人の対立を顕在化させないよう周到に配慮したためであった。李徴の語りは昔からモノローグ化せざるをえない宿命を抱えていたのであり、それを助長したのが袁傪の態度でもあったのだ。その点から言えば、二人は昔から本当の意味では向き合っていなかったのである。
 他人との交わりを避けたのは、周囲が言う倨傲、尊大さが原因ではなく、実は臆病な自尊心と尊大な羞恥心のゆえであったと李徴は語る。彼には自信と不安が同居していたと言ってよい。若くして名を虎榜に連ねた彼にしてみれば、絶えず自分は才能ある人間であらねばならぬという強迫観念があった。人間は才能だけでは大成できない。進んで師に就いたり、同好の士と切磋琢磨したりする、つまり努力を重ねることによって人は悲願を達成できるのである。李徴に欠けていたのはこうした謙虚な姿勢であった。彼はそのことを虎になった今ようやく悟るのである。不安を抱えていたのは自分一人だけではない。そのことを昔の李徴は知る由もなかった。これは彼が他人との交わりを頑なに拒んだためである。
 李徴はまもなく、人間としての意識は失われ、完全な虎と化するであろう。そのことは李徴が今の苦しみから解放されるという皮肉な状況であることもまた真実なのである。