(29)『森と湖のまつり』

武田 泰淳  『森と湖のまつり』   2007年9月

小田島 本有    

   「アイヌを描きたい」、その切なる思いで北海道を訪れた佐伯雪子であった。しかし、ビホロの開基66周年、町制施行30周年を祝う絵の制作を依頼されたことをきっかけに、彼女はさまざまな荒波に翻弄されていくことになる。そこにはシャモ(和人)とアイヌの確執があったし、アイヌの案内役をお願いした学者、アイヌ統一委員会委員長の池博士は必ずしもアイヌたちから歓迎されているわけではなかったのだ。
 池はある意味で理想主義者である。失われ行くアイヌの伝統や風習を守ろうとする姿勢は純粋そのものだ。しかし、かつて彼の妻であった鶴子に言わせると、彼の家にびっしり陳列されたアイヌの品々は彼女に圧迫感しかもたらさなかった。それらはもはやアイヌたちの「生きた」品々ではなくなっていたし、それに気づけぬ池は「アイヌのため」と言いながらも、私欲のためこれらにすがっていたと言えるのかもしれない。
 統一委員会で池の片腕であったはずの風森一太郎は、今では池と連絡すらとれない状況にある。そして、方々で騒ぎを起こし、危険視すらされている人物だ。一太郎に頼まれて根室標津の網元の家を訪れた雪子は、彼の引き起こした事件に巻き込まれたことがきっかけで彼の仲間と目され、激しい暴行を受けることになる。彼女はこれらを通じて、この土地の現実をしたたか思い知ったはずだ。そして、彼女は偶然のいたずらでこの夜一太郎と小屋で結ばれたりもした。
 一太郎の姉、風森ミツは周囲からも一目置かれた女性である。その彼女も、かつては結婚していたシャモの先生に逃げられ、その憎しみから相手の殺害を当時12歳だった弟の一太郎に依頼したことがあった。しかし、その自分の恐ろしさに気づいたときこそ、彼女が真にクリスチャンとして生き始めたことを意味する。結局、一太郎は先生を殺すことはできなかったし、先生自身はピリカメノコを裏切った自責の念に耐えられず、その後「おど」となっての放浪生活を余儀なくされる。
 作品は、ベカンベ祭のためトウロ湖に集まってくる人々がもたらす事件や出会いを軸に展開される。愛憎が入り乱れ、人間関係が複雑に絡み合い、物語は混沌そのものだ。しかし、先生「おど」の死、一太郎と網元の長男との決闘、さらには池博士の自宅の全焼といった事件を経過していく中で、一つの方向性が見出されていく。
 網元の長男は父親を説得して自らがアイヌであることを認めさせ、アイヌを雇い入れるようになったし、鶴子は池博士のもとに戻った。そして、一太郎は決闘以来姿を消し、その存在は伝説化される。「彼女(注・雪子)は、風森一太郎の子供を身ごもっていた。」作品はこの一文で締め括られる。やがて母親となる雪子は今後いかなる絵を描いていくのであろうか。それは誰にも分からない。