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The Association of Small Business Entrepreneurs in Hokkaido
〜私たちは地域の発展と人間尊重の経営を目指す経営者集団です〜
今月の文学探訪
【 筆者プロフィール 】 

小田島 本有(おだじま もとあり)


昭和32年 札幌市に生まれる。
昭和51年 札幌西高校卒業。
昭和57年 北海道大学文学部卒業
昭和62年 北海道大学大学院文学研究科修士課程修了。
平成 元年 釧路工業高等専門学校着任
令和 5年 釧路工業高等専門学校退職

 現在、釧路工業高等専門学校名誉教授。文芸評論家。専門は日本近代文学。
 地元で公開講座、出前授業、読書会、朗読会など、地域貢献に関わる活動を実践。
 2021年7月より北海道新聞夕刊で「道内文学」創作・評論の執筆を担当。

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森鷗外『雁』 2016年6月
                小田島 本有

 『舞姫』の発表からほぼ20年後、鷗外は『雁』の執筆に着手する。エリートへの道を約束された男と、その陰で人生の悲哀を舐めざるを得なかった不幸な女、という構図は共通するものの、両者の内実は対照的ですらある。『舞姫』の太田豊太郎はエリスと同棲をし、彼女を妊娠させてもいたが、『雁』において岡田とお玉の間には関係すら始まっていなかった。しかし、そこにことさら悲恋物語を認めようとするのが、岡田の友人であった「僕」である。
 お玉は末造の妾であり、無縁坂の家で囲われていた。その前をいつも通りかかるのが学生の岡田で、二人は軽く会釈を交わすだけの関わりであった。唯一の例外は末造がお玉のために買ってやった紅雀が蛇に襲われ、そこをたまたま通りかかった岡田がそれを退治した一件ぐらいである。
 お玉は岡田に心惹かれていた。たまたま末造が家を空けることになったとき、彼女は岡田と近づきになれることを期待する。だが、彼女の願いは叶わなかった。いつもは一人で家の前を通り過ぎる岡田がこの日ばかりは連れを伴っていたからである。その連れが「僕」であった。たまたまこの日の夕食に「青魚(さば)の煮肴」が出て、これが苦手な「僕」は岡田を誘って外食に出たのであった。「僕」は美貌の女の目がうっとりと岡田の顔に注がれているのを目の当たりにして「おい、凄い状況になつてゐるぢやないか」と興奮するのだが、一方の岡田はそっけない。既に岡田は蛇退治事件のことは「僕」に伝えていたが、岡田はお玉が妾であることを承知してもいたし、彼女はあくまでも会釈を交わすだけの存在でしかなかった。
 「僕」は岡田の態度を不甲斐なく感じ、「僕は岡田のやうに逃げはしない。逢つて話をする」と述べている。「物語の一半は、親しく岡田に交つてゐて見たのだが、他の一半は岡田が去つた後に、図らずもお玉と相識になつて聞いたのである」と「僕」は35年後に語る。しかも「僕」はなぜ彼女と「相識」になったか語ろうとしない。ただ「僕にお玉の情人になる要約の備はつてゐぬことは論を須たぬ」と言い切っている。
 「僕」はかつて正義感にも似た思いで岡田の態度を批判的に眺めていた。であれば、その「僕」がお玉と「相識」になるには、「僕」が直接彼女に近づく必要がある。たぶん「僕」はお玉に失恋したのだろう。お玉の心の中には岡田があまりにも強く生き続けていた。だが、その彼女も岡田のことをよく知っていたわけではない。言ってみれば彼女は実像としての岡田ではなく、偶像としての岡田に恋していたのだ。だが「僕」はその岡田に負けた。それは屈辱的ですらある。
 「僕」がことさら岡田とお玉の悲恋物語を強調するのは、自らのアイデンティティを守ろうとするためだったのかもしれない。
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