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The Association of Small Business Entrepreneurs in Hokkaido
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今月の文学探訪

【 筆者プロフィール 】 

小田島 本有(おだじま もとあり)

昭和32年 札幌市に生まれる。
昭和51年 札幌西高校卒業。
昭和57年 北海道大学文学部卒業(国語国文学専攻)
昭和62年 同大学院修士課程修了。
 現在、釧路工業高等専門学校一般教科教授。
 専門は日本近代文学。
 同友会幹部大学で文学の講義を担当している。


トップ  >  (32)『キッチン』
 吉本ばなな 『キッチン』  2007年12月

                小田島 本有

 「私がこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う。」そう語る「私」こと、桜井みかげは、料理をするという行為によって他人との繋がりを確認していたのだろう。
 両親を早くから失い、祖母の手によって育てられていたみかげにとって、祖母の突然の死はまさに「びっくりした」事件であった。その彼女に救いの手を差し伸べてくれたのが、みかげの祖母行きつけの花屋でアルバイトをしていた田辺雄一であり、その母親(といってもかつては男性であり、雄一の生母と結婚していた)であるえり子だった。みかげがこの家で居心地の良さを感じたのには、それなりの理由がある。
 彼女はまずこの家の台所をひと目で気に入っている。それにこの母子は本当の血の繋がりがない。しかし、他に身寄りのないこの二人はだからこそ自らの孤独を認識し、お互いを思いやることも可能だった。みかげを受容できる土台が既に二人には出来上がっていたのである。三人は擬似家族を構成し、みかげの作る料理は二人を喜ばせた。
 しかし、自立を目指すみかげはこの家を離れ、有名な料理研究家のアシスタントとなった。毎日の生活に忙殺され、田辺家としばらく疎遠となっていた間にとんでもない事件が起こる。えり子さんがストーカーに殺害され、雄一も一人になってしまっていたのである。かつてみかげを救ってくれた雄一が今度は同じ境遇に置かれることになった。
 かつてはえり子、雄一、みかげの三人で幸福な家族的空間を作り上げていたはずなのに、えり子という支点を失い、残された二人は微妙な立場に置かれることになる。みかげには雄一がすべてのものから離れて行こうとする気がしてならない。その彼の気持は痛いほど分かるし、かといって彼を失いたくない。だが、それが愛なのかどうか自分でも判断がつかない状態にいる。
 その彼女に、雄一の様子を心配してみかげにそれを知らせに来た人間がいた。えり子さんの店をついだオカマのちかちゃんだ。ちかちゃんはみかげに、今雄一が泊まっている宿を教えてくれる。
 伊豆の旅先で食べたカツ丼が非常においしく、それを雄一に食べさせたくて持ち帰りを注文し、タクシーを呼んでみかげが車を走らせるくだりはこの作品の忘れ難い場面であろう。「どうして君とものを食うと、こんなにおいしいのかな。」かつて雄一はこうみかげに言っていた。この二人は「食べる」という行為を通して互いの繋がりを確認し合うのである。
 「孤食」「個食」などということが問題とされる今、この作品は改めて我々に大切なものを教えてくれているようだ。
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