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The Association of Small Business Entrepreneurs in Hokkaido
〜私たちは地域の発展と人間尊重の経営を目指す経営者集団です〜
今月の文学探訪
【 筆者プロフィール 】 

小田島 本有(おだじま もとあり)


昭和32年 札幌市に生まれる。
昭和51年 札幌西高校卒業。
昭和57年 北海道大学文学部卒業
昭和62年 北海道大学大学院文学研究科修士課程修了。
平成 元年 釧路工業高等専門学校着任
令和 5年 釧路工業高等専門学校退職

 現在、釧路工業高等専門学校名誉教授。文芸評論家。専門は日本近代文学。
 地元で公開講座、出前授業、読書会、朗読会など、地域貢献に関わる活動を実践。
 2021年7月より北海道新聞夕刊で「道内文学」創作・評論の執筆を担当。

トップ  >  (212)『あにいもうと』
   室生犀星『あにいもうと』  2022年12月
                小田島 本有

 この作品の冒頭と結末は人夫頭、赤座の勇ましい姿が描かれている。彼は人夫の遅刻を許さないし、怠惰な人夫を容赦なく解雇する。癇癪を起すと人夫の身体を小突いたりひっぱたいたりすることもある。一方、妻のりきは人夫たちからは「嬶仏(かかあぼとけ)」と言われるほど柔和な女だ。
 そのりきに赤座は、家を訪れてきた小畑という若い学生に「手荒なことをしないでくれるように」と言い含められていた。小畑は長女のもんを妊娠させ、一年後に顔を出したのである。ちなみにもんは死産していた。赤座は小畑と対面する。この坊ちゃん風情の男を目の前にして、赤座は張り合う気力すら失ってしまったというのが正直なところである。小畑はいろいろな費用を負担させてもらいたいとは言うものの、もんと一緒になりたいとか、彼女に会いたいという言葉を言わなかった。死産だったことを知らされ、彼に安堵の表情が浮かんだのを赤座は見逃さない。もんが小畑には満更ではなかったことを知る赤座は、手荒なことを控え、「小畑さん、もうこんなつみつくりはやめたほうがいいぜ、こんどはあんたの勝ちだったがね」の言葉を残してその場を立ち去る。
 だが、それでは我慢できない男がいた。それがもんの兄「伊之」(伊之助)である。伊之は小畑が家を訪れていたことを知り、退出した小畑を追いかけ彼をさんざん殴りつける。だが、この時の伊之の態度を純粋な妹思いの行動として捉えるのは早計である。この伊之自身が生来の怠け者で、しかも女のことでたびたび諍いを起こしていた。一週間か十日間も働き詰めるとその金を持ったまま、二、三日は帰ってこない問題児だったのである。日頃不満を鬱積させていた伊之にとって、目の前に現れた小畑は格好の餌食だったとも言える。
 もんは兄の行動を後で知り、それこそ口汚く兄に対して「極道兄キめ」「豚め」「石屋の小僧」と罵り批判する。この様子を目の当たりにした母親は「お前は大変な女におなりだね」「後生だから堅気な暮らしをしてもっと女らしくおなり、まるでお前あれでは兄さん以上じゃないか」と嘆く。実際、小畑との一件以後、もんの生活は荒んでいた。喧嘩の中で伊之が妹に対し、「堕落女」「赤ン坊のさん女郎」と攻撃しているのもそのような背景があったからである。
 りきは小畑からの名刺をもんに見せたが、彼女は用がないと言ってそれを細かく静かに引き裂き、泣き出す。その後彼女は横坐りになってだるそうな顔つきをする。「まさかお前またあれじゃないだろうね」とのりきの言葉にもんは「まあ」と笑いはするものの、そこには「わざとらしい笑い様」が浮かんでいた。このことがりきの心を締めつける。小畑の事件以来、娘の心の荒廃は何ら変わっていないのだ。そんな彼女でもしばしば家には戻ってくる。父母はもちろん、「あんな、いやな兄さんだってちょっと顔を見たくなることがあるんですもの」との彼女の言葉に、家族の不思議さが見えてくる。そんな作品である。





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