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The Association of Small Business Entrepreneurs in Hokkaido
〜私たちは地域の発展と人間尊重の経営を目指す経営者集団です〜
今月の文学探訪
【 筆者プロフィール 】 

小田島 本有(おだじま もとあり)


昭和32年 札幌市に生まれる。
昭和51年 札幌西高校卒業。
昭和57年 北海道大学文学部卒業
昭和62年 北海道大学大学院文学研究科修士課程修了。
平成 元年 釧路工業高等専門学校着任
令和 5年 釧路工業高等専門学校退職

 現在、釧路工業高等専門学校名誉教授。文芸評論家。専門は日本近代文学。
 地元で公開講座、出前授業、読書会、朗読会など、地域貢献に関わる活動を実践。
 2021年7月より北海道新聞夕刊で「道内文学」創作・評論の執筆を担当。

トップ  >  (71)『金閣寺』
   三島由紀夫『金閣寺』 2011年3月

                小田島 本有

 実際に昭和25年に起きた金閣放火事件を題材に、三島がいわば観念的私小説を試みた作品、それが『金閣寺』であった。
 「私」(溝口)にとって金閣の美しさは絶対のものであった。それは幼い頃から父親がその美しさを絶えず語っていたからである。ただ、ここで注意しなくてはならないのは、「私」が囚われていたのは「現実の金閣」ではなく、あくまでも「心象の金閣」であったという事実である。「私」は吃音ゆえに周囲からの孤立を余儀なくされていた。「私」が観念の世界に閉じこもることができたのもそのような背景が大きく影響していたのである。
 父親は第一章で死に、姿を消してしまうが、この父親の影響力は「私」にとって計り知れないものがあった。この父親は同じ蚊帳の下で寝ていたとき、妻と親戚の倉井が不徳を働く場面を目の当たりにして、息子の「私」の眼を塞いだ男でもあった。息子に対しては美しいものを殊更教え、醜いものは排除する。それが彼のいわば教育理念だったのである。金閣はその象徴でもあったのだ。
 「私」がほんの一瞬垣間見た性の光景は恐ろしいものであったし、それを覆ってくれた父親は確かにそのとき庇護者であったに違いない。しかし、「私」もやがて大人へと成長する。「私」がいざ女性と行為に及ぼうとするとき必ず金閣が現れ、阻止してしまうに至り、「私」にとって金閣は呪詛の対象へと変容せざるをえなかった。「私」がついに金閣への放火に踏み出したのは、これが究極的に父親の呪縛からの解放を願う行為に他ならなかったからである。
 「私」は金閣の炎に包まれて自ら滅びることを望んでいた。しかし、いざ究竟頂(くきょうちょう)で果てようと赴いたものの扉が閉ざされており、そこで死ねないことが分かったとき、「私」は外へ飛び出したのである。
 「現実の金閣」は確かに消失した。だが、「私」の観念の中の「心象の金閣」は決して消えることはない。「私」は放火の行為によってそのことを知ったのである。これからも生きていかなければならぬ「私」は、行為の無効性を知りつつ、現実世界を渡っていかねばならない。そのとき、「心象の金閣」とどう向き合っていくのかが「私」の課題なのである。
 かつて表現の衝動に見舞われたことがなかったという「私」は、今自らの過去を語っている。結末で、「生きようと私は思った」と述べる「私」にとって、この「語る」という行為そのものが「生きる」ことに他ならないのだ。
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