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The Association of Small Business Entrepreneurs in Hokkaido
〜私たちは地域の発展と人間尊重の経営を目指す経営者集団です〜
今月の文学探訪
【 筆者プロフィール 】 

小田島 本有(おだじま もとあり)


昭和32年 札幌市に生まれる。
昭和51年 札幌西高校卒業。
昭和57年 北海道大学文学部卒業
昭和62年 北海道大学大学院文学研究科修士課程修了。
平成 元年 釧路工業高等専門学校着任
令和 5年 釧路工業高等専門学校退職

 現在、釧路工業高等専門学校名誉教授。文芸評論家。専門は日本近代文学。
 地元で公開講座、出前授業、読書会、朗読会など、地域貢献に関わる活動を実践。
 2021年7月より北海道新聞夕刊で「道内文学」創作・評論の執筆を担当。

トップ  >  (168)『師崎行』
 広津和郎『師崎行』   2019年4月
                小田島 本有

  『師崎行』は「私」がみつ子との間に進一という男の子を作って八カ月も経過していたという事実を師崎に暮らす父親に伝えに行く話である。話としては単純であるが、ここではなかなか決断を下せずにいる「私」の性格が殊更浮き彫りになっている。
 「私」は父親に事実を伝えるに際し、「実は僕は非常な失敗をしたんです」と切り出している。ここから伺えるのは、みつ子を妊娠させたのは「失敗」だったという認識があるということである。父親に打ち明けるまで「私」は随分迷っている。「男が悪いんだ男が悪いんだ!」「女には罪はないんだ!」という思いがよぎり、結婚するのが当然と「私」は思う。だが、そこにあるのは義務感ばかりで、「私」はそのことに違和感を覚えざるを得ない。そもそも彼女に対する愛情があるのであれば、このような逡巡は起きないはずだ。みつ子の母親も「私」に娘との結婚を強要しているわけではない。「あなたの態度が曖昧なので、どうも不安でならないんですよ」と彼女は言う。みつ子とすっぱり縁を切ろうと思えばそれは簡単である。そのようにしないところに自分の誠意があると、「私」は周囲に伝えたかったのかもしれない。
 それにしても、なぜ「私」は事実を長い間父親に告げようとしなかったのだろうか。
 父親が長らく病気がちだったことは作品の中でも書かれている。しかも兄が退職したことで、両親の経済的負担を「私」が一手に引き受けざるを得なくなったという事情もあった。だが、そのことが直接の原因とは考えにくい。「あなたは御自分のお父さんだけには、ほんとによくなさるけれど、あたしの事なんか心から心配して下さりゃしないんですよ」とは、みつ子が「私」に漏らした不満である。「私」には絶えず父親の前では「よき息子でありたい」という願望があったのだろうか。
 「私」は父親を散歩に誘い事実を打ち明ける。父親の反応は極めて穏やかなものだった。「それはお前の思う通りにするのが一番いい。私は別段何もいわない。しかし一概にそういってしまって、後で一層不幸な結果を来しても困る」。そう父親は言ったのである。そして翌日、今度は父親が「私」を散歩に誘った。父親は赤ん坊の写真を一枚早速寄越してほしいと要望したうえで、「もしお前に我慢が出来るなら、なるたけやっぱり結婚するといいんだがな、坊やのためにも」と付け足した。ここでも父親はこのことをあくまでも「希望」として語っていた。
 父親は多くを語るわけではない。だが、結婚は「我慢」であることをこの父親は伝えようとしたのではないか。そこにはたんに「世間的な常識」という言葉だけでは言い尽くせないものが含まれているようにも思える。
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