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The Association of Small Business Entrepreneurs in Hokkaido
〜私たちは地域の発展と人間尊重の経営を目指す経営者集団です〜
今月の文学探訪
【 筆者プロフィール 】 

小田島 本有(おだじま もとあり)


昭和32年 札幌市に生まれる。
昭和51年 札幌西高校卒業。
昭和57年 北海道大学文学部卒業
昭和62年 北海道大学大学院文学研究科修士課程修了。
平成 元年 釧路工業高等専門学校着任
令和 5年 釧路工業高等専門学校退職

 現在、釧路工業高等専門学校名誉教授。文芸評論家。専門は日本近代文学。
 地元で公開講座、出前授業、読書会、朗読会など、地域貢献に関わる活動を実践。
 2021年7月より北海道新聞夕刊で「道内文学」創作・評論の執筆を担当。

トップ  >  (61)『青春』
  伊藤 整  『青春』 2010年5月

                小田島 本有

 「人の青春が生に提出する問題は、どの時期のものよりも切迫しており、醜さと美しさが一枚の着物の裏表になっているような惑いにみちたものだ」。「作者の言葉」の中で伊藤整はこう述べている。
 『青春』には複数の若者たちが登場するが、「醜さと美しさ」を象徴的な形で表しているのが画家の沖豊作である。彼は「芸術家の倫理」を優先し、「俗人の倫理」を頑なに拒否する男であった。裸体画を描くに相応しいモデルとして喫茶「サモワアル」の女給百枝を見出すが、それに応じる素人女性の心の内を顧慮しようとしない彼はしだいに袋小路に追い詰められることになる。
 当初、彼は「あの絵の主人公をあの店からやめさせようと思っている」と語っていた。店の主人ウラジミルが細君に逃げられ、そこに善良な彼女を放置しておくのが良くないとの判断からだった。しかし、百枝の愛情が自分に向けられていることを確信するようになり、彼女がいざ店から飛び出すと彼は慌て始める。ウラジミルから彼女を連れ戻してほしいと頼まれた際に託されたお金(それは百枝に払うべき未払いの給金だった)で勝手に酒を飲んでしまう彼の態度は決して褒められたものではない。今後彼は絵を描き続けることができるのか。作品を読む限りでは分からない。
 その沖を傍らで見ていたのが高等工業学校の学生、神津信彦である。彼もまた、青春のただ中で自分をどう位置づけてよいのか、悩み続ける若者の一人であった。
 彼には密かに憧れる細谷美耶子という女性がいた。彼女は23歳、彼より三つ上である。彼を含む若者たちがしばしば訪れる細谷教授の妹であった。彼らの間では、37歳の庄司助手が彼女に求愛していることが話題として上がり、信彦にとってそれは「大人の世界」のこととして受け止められている。
 その彼に教授から一日おきぐらいに自宅に来てほしいとの要請があった。自らの著書を刊行するため、校正作業を手伝ってほしいとのことである。彼の心は揺れ動く。足が遠のくと美耶子から来訪を促す手紙が届いたりもする。やがて美耶子もまた年下の信彦に好意を抱いていたことが明らかになった。それを知って大胆に振る舞おうとすると、彼女は周囲を気遣い、「今までと同じことにしてくれないと私困るのよ」と命令的な調子で言う。こうなると信彦は身動きができない。彼がこの恋愛は出口がないと思うのは無理もないことであった。
 この二人ばかりではない。この作品に登場する人物たちは、いずれも青春という迷路の中で自己のあり方を模索している。
 この作品を発表したとき、作者は数え年34歳だった。青春期を潜り抜けた人間だからこそ、そこで呻吟する若者たちの造型が可能になったのである。
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